やっぱり右側に気をつけろ

深読みと勘違いのドドスコ批評。

死刑制度をめぐる驚くべき映画

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NHK「時事公論」、平日の23時55分からの10分番組。昨晩は「死刑の情報公開は」の文字にザッピングの手が止まった。リモコンを持ったまましばらく解説委員の話を聞くと、この7月に死刑囚2人に死刑が執行されたという。

その執行の経緯について情報公開請求によって文書が開示されたが、中身は半分以上が黒く塗りつぶされていた。解説委員氏は、視聴者に何ページにも及ぶ黒塗り文書を見せながら、まさに日本の「死刑」におけるブラックボックスな状況を訴えていた。

世界の流れは、死刑廃止の方向と言われている。例えばEUは、その加盟条件が「死刑制度が廃止されていること」なのである。もちろん死刑制度を継続している国もけして少なくないのも事実。日本しかり。日本においては世論の8割が死刑を容認しているというし、制度の是非を問うような議論も活発とは言えない。ちなみに現在は、犯罪の抑止よりも被害者心情への配慮が死刑制度を是としているようだ。

僕自身は「死刑制度」の廃止を望んでいる。その一番の理由は冤罪の可能性だ。もうひとつは倫理である。個人の殺人と国による殺人は意味がまったく違う。人は人を殺す。僕だって因果があればわからない。しかし国は個人より高いステージの倫理観を持って欲しい。と僕は思ってる。

で、思い出した映画が、2003年、アラン・パーカー監督「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」。死刑制度をめぐる強烈な映画である。

タイトル通り、この主人公デビッド・ゲイルの生き様はどうだ、と観る人に問いかける映画。監督自身は死刑制度をどう思っているかは知らないがこの驚くべきアイデアを映画にしないわけにはいかなかっただろう。死刑制度存置論者の弱点である冤罪の問題をトンデモかつ異常かつ自爆テロ的アイデアで突きつけるストーリーに震えること請け合い。だた、この映画の凄みは、その死刑制度の是非よりもその問題に取り憑かれた死刑制度反対運動家の理解を超えたドン引きされそうな情熱と悲哀にもある。どこの映画レビュー系サイトでも星4つを獲得している。これだけ社会派なテーマでありながら、ちゃんと面白いというのも素晴らしい。未見の方はゼシ。

その流れで1980年代のフランスのミッテラン大統領の話。当時の世論調査では死刑制度存続を求める声が過半数を超えていたが、ミッテランは「世論の理解を待っていたら遅すぎる」として死刑廃止を議会に提案、4:3で可決するのである。

人にはその命によってしか償えない罪があると考えるのもいいし、そりゃ殺されても仕方がないという感情だってあるだろう。もちろん許せないという心情も。しかしたとえば、国の判断がそんな個人の感情を裏切るものであっても、もし、日本が死刑制度廃止を決定したら、僕はこの国をなんだか誇らしく思える気がするんですがどうでしょうか。