お笑い芸人の価値は面白いかどうか。
お笑い芸人の価値は面白いかどうか。そして村本氏は面白い。ということに尽きます。
お笑い好きをひかえめに自認していますが、最近、テレビ的なハイコンテクストなノリに辟易としている自分を発見しています。休み時間に教室の後ろでちょけた中学生。そのノリの圧倒的王様ダウンタウンは大好きでしたが、ちょけが過ぎて今は廊下に立たされています。テレビがワンオブゼムなメディアになった現在、この気分は僕だけではないと思います。
空気を読む力
とは言え、テレビ迎合的に批判的にも語られる「空気を読む」ことは、芸人の最重要能力と考えています。読めるがゆえにその空気にノることはもちろん裏切ることや斜め上などの角度をつけたり距離を測ることが出来ます。結果、その場に足りないもの、まだないものを提案できます。
例えば、本作「I AM A COMEDIANN」の中のエピソード。教会の聖職者による子どもへの性的虐待についての村本氏のネタを、地元で長く暮らす友人にこう批判されます。「ぬるすぎる」。すいません、正確な言葉は忘れましたが、意訳的にはこんな印象。
ここで村本氏が突きつけられたのは、この町で、どれほどそのネタがコスられ、練られ続けてきたか、その歴史を知らない人間が、ましてや日本人がそのネタをここでやるのは失笑でしかないんだということ。
いかにその社会の空気を深く読めているかどうか。つまり大事なのは読むべき空気、その射程です。
好きな芸人も好きなネタもいっぱいあります。でも今の「テレビ」にはシラケています。そんなテレビではなく社会の空気を読めている、それが村本氏だと思います。そのトライには大きな共感と応援しかありません。