やっぱり右側に気をつけろ

深読みと勘違いのドドスコ批評。

松本人志に失望する人々

f:id:srzwkj:20170817172942j:plain

左な雑誌週刊金曜日

先週、会議室に投げ捨てられていた「週刊金曜日」に目がとまった。表紙が松本人志の大きな似顔絵だったからだ。そのイラストを挟んで右側に大きく「松本人志と共謀罪」、そして左側には、「松ちゃん、いつから変節したの?」の文字。

毎週日曜日、ワイドナショーをほぼ観ている僕には、この左翼雑誌の言いたいことはすぐ了解した。しかし、権力監視、リベラルを標榜するジリ貧感が否めないこの雑誌、この企画を決断した思いを想像するとある種のイタさがこみあげてくる。

とは言え、読んで思ったのは、ひとつを除いてどれも悪くない記事だった。つまりみんな「松ちゃん」が大好きなのである(以下松ちゃん)。ゆえの失望なのである。確かに反権力的な思考指向嗜好な人間と松ちゃんの笑いは相性がいいのかもしれない。しかしそれが罠であった。

松ちゃんの辞書に政治はない

端的に言えば松ちゃんは政治に関心がない。というより、松ちゃん世代は政治に関心がなく、その世代を笑わせてきた松ちゃんの辞書に「政治」はない。もっと言えば、基本的に世間は「政治」に関心がない。それがここ何年か前からいわゆるワイドショーなどでも政治的なニュースに時間を割くようになった。つまり「政治」が流行ったのだ。時事ネタや政治ネタにテレビでコメントできる芸人と言えば爆笑問題ぐらいしか思い浮かばないが、「流行っている政治ニュース」を語る松本人志というテレビ的な需要は高かったと想像できる。

満を持しての松ちゃん登場。「ワイドナショー」。いい名前である。司会に据えた東野幸治というキャスティングも文句ない。松ちゃん自身もネタが何であれ俺がしゃべれば笑わせつつ感心させるゼ、という自信もあったと思う。だって松ちゃんだゾ。と。

しかし、「政治」は思ったより裾野が広かった。政治問題や社会問題の島、その歴史、サイズは侮れない。流行っていない頃からずっと、クセ強めの人間がたくさん蠢いているのである。しかも悪いことに松ちゃん好きな人々が。

コメンテーターの仕事は、そのネタを包んでいる空気からの距離や角度の取り方が生命線だが、松ちゃんがヨむ「政治」の空気はぬるかった。逆をハったのか、ならではの角度をとったのか、、、結果、島の住人にとってはもう十分に語られ尽くされた、つまりとてつもなくつまらないコメントをしてしまう事態に。

「松本人志が、『共謀罪、俺はいいと思う』とコメントする」ことの本当のインパクトが松ちゃんにはわからないのだ。いや、むしろわからないから良いということもあるかもしれない。しかし松ちゃん自身が「天然」に甘んじたくはないはずだ。

かくいう僕も、ワイドナショーで松ちゃんのコメントに失望しているひとりである。べつにリベラルや左派を喜ばせるコメントを期待してるわけじゃない。期待するのは、まずは笑いであり、そしてその笑いがそのまま、右派左派が固執する両方の思想信条がバカらしくなるようなコメントだったら最高なのだがと思ってる。

「週刊金曜日」の表紙の言葉には「変節」とあったが、松ちゃんは変節なんかしていない。ただ「政治」を知らないだけ。だから知ればいい。例えばこんなことがあった。政治ではないが、松ちゃんは大麻所持などのニュースには常々、非常に厳しい態度を示していた。しかしあるとき同様のニュースに対しゲストの古市氏がこう述べた「大麻は合法の国もあり、たいした問題ではない」。これに対しての松ちゃん、

「なんかそいのちゃんとしてほしいわー、これまで大反対してた僕らがただのバカみたいになる」

と、これは大きな成長である。つまりあとは知るだけなのである。僕をあんなに笑わせてくれた松ちゃんだもの、期待してる。

ところで最初に書いたが、「週刊金曜日」の記事の中で、唯一クソコラムがあった。佐高なんたらいうひとのコラム。公明党が嫌いなのか知らないが松本人志と創価学会の関係を疑う内容だったが、それがどうしたというのだろう。しかも松ちゃん監督の映画「大日本人」をけなしつつ、観てはいないけど、、と言う。ただでさえイタめの企画であるのに、「週刊金曜日」は、あのクソコラムを掲載したことで多くを失った。