やっぱり右側に気をつけろ

深読みと勘違いのドドスコ批評。

タケちゃん問題。

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僕はタケちゃんの昔からのファンである。しかし今のテレビの中のタケちゃんを見るのはつらい。なぜなら面白いことが言えてないからだ。タケちゃんの魅力のひとつに、「そんなことテレビで言っちゃうの」ってのがあると思う。しかし今、それはウケないどころかヒかれるのである。もっと言えば近年のタケちゃんは、話も滑舌もモヤモヤ感が否めない。とりわけ土曜日の夜のTBS、安住アナとの「情報7days ニュースキャスター」のタケちゃん。僕はもう安住アナへの感謝しかない。安住アナのタケちゃんへの敬意溢れる態度は素晴らしい。しかし希望を言えば安住アナにはもっと無遠慮にタケちゃんにツッコんでほしいのだ。そのことがどれだけタケちゃんを救うかしれない。視聴者のタケちゃんへの違和感がそこで笑いとともにポジティブに解消されるからだ。

しかし、僕の最近の気持ちはこうだ。タケちゃんはもう面白いことを言おうとしなくていい、ただ有り難い人としてそこにいてくれるだけでいい。もちろん失礼な物言いであるが、あとは面白い映画をできる限りたくさん撮ってください。という感じだ。そしてタケちゃんの関心事や考えていることを素直に語るような番組をときどき視れたら最高だ。TBSだったか、タケちゃんが好きな芸人を集めてネタ大会、最後に「優勝は、・・」でお約束にボケる番組なんかは続けて欲しいのだけど。

そんな思いを募らせていた僕が感心したのは、今年から始まったアサヒ飲料の缶コーヒー「WONDA」のCMシリーズだ。これが良い。会社の部長タケちゃんに劇団ひとりと「ハライチ」澤部佑の部下ふたりが絡むCM。キャスティングもすてきだ。で、一番最初に視たのはこんなの。部下である劇団ひとりの背中に子供のいたずらシールが貼られている。タケちゃん部長がそれを指摘してやるのだが、意に介さずそのまま営業に出ようとするひとりに向かってタケちゃんがひと言、

「はがさねえのかよ」。

これだけ。だけどその普通なタケちゃんがとってもいいのだ。

そこで、このCMの裏コンセプトは「タケちゃんに面白いことを言わせない」に違いないと勝手に断定した。もちろんタケちゃんが「面白いこと」を言わないCMはこれまでもあった。しかしそれらは、「ビートたけし」、あるいは「北野武」というキャラクターにノっかった演出であり、つまりは、清濁併せ持つ男っぽさや、言いたいことを言う子供の心を失わない中高年、あるいはインテリかつ世界的映画監督としての自由かつクリエイティブな大物、的な、的なである。それが「WONDA」ではふたりの芸人との言ってみれば会社コントである。その設定でタケちゃんが面白いことをまったく言わないのだ。

例えばこんなバージョンもあった。家庭での自分の立場の弱さを愚痴る部下の澤部に対し、タケちゃん部長の最後のセリフは

「そりゃひでぇなあ」。

これだけである。もう素晴らしくてアングリする他ない。とは言えタケちゃんがはしゃいでるバージョンもある。アサヒ飲料のサイトによればその名も「部長ハイテンション篇」。しかしそのCMでタケちゃんが「面白いこと」を言っているわけではない。そこにあるのは、娘との約束を取りつけた部長の異常な上機嫌ぶりに部下たちが呆れているという視聴者を含めた自然なツッコミ構造の中で、のびのびと「コマネチ」をしているタケちゃんを視る幸せしかないのである。

そして新バージョン。今や売れに売れた「ブルゾンちえみ」登場の巻だが、CMのアタマ、部下二人に向かってタケちゃん「そう言えば今日、新人が来るらしいぞ」。それだけ。もはや最後のひと言でもない、ただのフリ役。これはもう完全に「タケちゃんに面白いことを言わせない」確信犯。逆説的に言えば、この演出はタケちゃんの「存在感」のみに純粋におんぶしているのである。その方法は結果的に、これまでの「ビートたけし・北野武」のイメージにノっかったどんなCMよりも、タケちゃん愛を僕に感じさせるのである。

タケちゃんは今年のフジテレビ27時間テレビのメインパーソナリティとしてキャステイングされていたが、怖くて視れなかった。すでにネットには、「タケちゃんのギャグへの共演者の気遣いがひどい」などのニュースが散見されるが、正直、残念ながら目に浮かんでしまう。結論を言えば、テレビは今のようにしかタケちゃんを使えないようであるのだから、真のタケちゃん愛を持つ近しい人がタケちゃんに引導を渡すべきである。