やっぱり右側に気をつけろ

深読みと勘違いのドドスコ批評。

「すすメトロ」に見る「ドラえもん」の新しさ。

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地下鉄のホームに貼られたポスター「すすメトロ」が目立っている。「東京メトロ」の企業努力を啓蒙するポスターなのかな。「すすメトロ」。それにしても昨今の広告コミュニケーションはダジャレと昔話しかないのかいと思うけど、話はそこじゃない。

そのポスターデザインの素晴らしさの話。とりわけその「ドラえもん」の表現について。僕を驚かせたのは「ドラえもん」に黒い描線が無いこと。「キャラ」の2次元表現においてキャラを囲む黒い線は文字通り「キャラクター」の生命線。キャラクターをキャラクターたらしめているのは実はあの黒線にあると言っても良い。試しに、「ドラえもん」あるいは「キャラクター」で画像検索してみてほしい

例えばジブリに「かぐや姫の物語」という作品があった。当時その斬新なアニメ表現が話題になったが、何が斬新だったのかと言えば登場するキャラクターを描画する線が、ペンのストロークでありタッチであり、その線は閉じた囲み線ではなかったことだ。果たしてヒロインのかぐや姫は見事に物語に溶け込んでまさに物語を生きていた。しかし引き換えに「キャラクター」はとても弱かったのである。実際、今、ヒロインの顔を明確に思い出すことができない。ポニョはすぐに浮かぶのだけど。物語を離れては成立できないキャラクター。じつはこれはすてきなことだ。なぜなら物語や作品を超えて「立つキャラ」は下品であるというのが僕の嗜好であるから(断定)。この作品についてどこかで読んだ評論。記憶が曖昧で申し訳ないのだけどそこにはこう書かれていた。「かぐや姫の物語のヒロインは黒い線に囲まれないことによってキャラ化の呪縛から逃れたのである」。まさに。

で、「すすメトロ」の「黒い囲み線を失ったドラえもん」。こちらは物語ではなくデザインに見事に溶け込んでいる。押し付けがましいキャラ立ちは抑えられ、大胆かつ繊細に、東京メトロの企業努力の顔として、案内人として、もちろんメインでありながら、あくまでデザイン要素として素晴らしいポスターデザインとなっている。これまで広告に使われた無数の「ドラえもん」の中で、ピカイチである。

あるいは、こうも言える。これまでのそれら無数の「ドラえもん」、つまりいじられ尽くされた「ドラえもん」は、こうした表現に耐えられるほど圧倒的なポップアイコンになったと。例えばミッキーマウスがあの二つの黒い円で認識されるように、「ドラえもん」もまた、とうとう抽象化の対象になりえたのであり、このポスターはその新しいステージの「ドラえもんの存在」を見事にすくい取ったと。いずれにせよこのポスター、間違いなくデキる人たちの仕事にちがいない。