広告の言葉はコピーとかキャッチコピーとか言いますよね。世界の広告事情は詳しくないですが、日本の広告のとりわけキャッチコピーには日本ならではの独特の文化があるように思います。例えば、かつてコピーライターとして名を馳せた糸井重里氏の有名なキャッチコピー、「不思議、大好き。」。調べると1981年の「西武」のキャッチコピーとあります。四半世紀以上前ということにも驚きますが、この「不思議、大好き。」が「西武」の広告としてCMやポスターで日本中に発信され、渋谷の西武百貨店にはこの言葉の巨大な幕が垂らされたのです。
不思議です。いやその現象が。「不思議、大好き。」。何も言ってないですよね。これは、「西武」が「不思議、大好き。」と表明しているのでしょうか。いったいそれがなにを「広告」しているのでしょうか。わかりません。ただ、「不思議、大好き。」という言葉が、「西武」によってばら撒かれたという他ありません。果たして「不思議、大好き。」は、多くの人の記憶に残るほど受け入れられ、ばら撒いた当の「西武」は、当時のイケてる企業に見えたはずなのです。最上級に褒めればその言葉を使った広告パフォーマンスは芸術で、それもコンセプチュアルなとんでもない現代美術のようでもあります。
さて、時は流れて現在、こうした「何も言ってない系」の広告の言葉はあまり見かけません。その理由は、経済的な原因とかいろいろありそうですがそれを考えるのはもはやあまり重要ではありません。ここで僕が言う「何も言ってない系」とは、「安い」とか「お得」とか「売れてます」とか、お店をアピールしたり商品を売る言葉として直接にはなにも訴求していないように見える系という意味です。
「なにも言ってない系キャッチコピー」。ネットをふわっと漁ってみたもののこれがないんです。この「不思議、大好き。」ほど「なにも言ってない」コピーはなかなかない。で、思い出したのが、焼酎の「いいちこ」のポスター。僕が通勤で利用する下高井戸駅のホームでときどき目にします。じつはこのシリーズ、調べると1984年以来ずっと継続してるシリーズとのこと。そのポスターは一貫して、「いいちこ」の瓶が置かれた風景写真とキャッチコピーに「iichiko」のロゴが配されているのみ。しかも商品である「いいちこ」の瓶は、風景に溶け込んでウォーリー並に小さく、探さないと見つからないほど。で、そのキャッチコピーはというと、「いいちこ」のことはなにも言っていませんが、その風景写真には絡んでるんです。構造としては、「いいちこ提供の絵手紙」でしょうか。季節の絵手紙を「いいちこ」がお届けしています。という感じ。
で、この「いいちこ」シリーズも確かに商品のことは何ひとつ言ってませんが、「不思議、大好き。」と「西武」の関係とはあきらかに何かが違うのです。いえ、とってもいいんですよこのポスター。しかもこんなクリエイティブをこれほど長く継続させてきたことには頭が下がります。でも「不思議、大好き。」は、絵手紙では全然ないんです。この違い。きっと糸井重里氏ならうまく解説してくれるにちがいありませんが、ここは「なんかちがう」で終わらせます。
ということで冗長な前置きでしたが、最近の新宿駅は南口、ルミネの広告の話。通勤で新宿駅を利用してるせいもあって、ルミネの広告は見るとはなしについその言葉を読んでしまいます。コピーのレトリックとしては、ネガティブな言葉を絡ませながらの、女子あるある的な、あるいは本音風味の共感系コピーで、わかるけどスッと入ってこないちょっと考え落ち的な複雑さのコピーの印象でした。偉そうにすいません。
ところが、先日見上げた駅正面のルミネの巨大広告ボード。大きな文字で「愛は、声で。」。いいじゃないですか。「おっ」って声が出ましたというのはうそですけど。ま、もちろんスマホ的コミュニケーション批判でしょうし、前述のレトリックでもあるんですが、時代を問わない普遍的で大きな魅力を感じました。久々の大型「なにも言ってない系キャッチコピー」降臨です。「愛は、声で。」、「「不思議、大好き。」に似た匂いがツンとしました。