やっぱり右側に気をつけろ

深読みと勘違いのドドスコ批評。

愛の抑制が地球を救う。―鈴木邦夫著「<愛国心>に気をつけろ!」から―

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愛国運動40年の氏が語る「愛国心に気をつけろ!」

岩波ブックレット、「<愛国心>に気をつけろ!」。著者の鈴木邦夫さんは、40年以上に及ぶ自らの「愛国運動」を振り返りながら、その活動の源であるはずの「愛国心」に警鐘を鳴らす。

 しかし、著者が言うまでもなく、「愛国心」や「ナショナリズム」の危険性は歴史がイヤというほど教えているのも事実、にもかかわらず著者は、今、あらためてはっきりと「愛国心に気をつけろ!」と言いたいのである。

 じわじわと世界を包みつつある自国ファースト主義

「愛国心」を看板にした自国ファースト主義や排外主義、そして「取り戻せ」的歴史修正主義的復古主義の気分は、じわじわと世界を包みつつあるのではないか。日本のムードは言うまでもなく、トランプ大統領の誕生やEU分裂危機、また多くの国で極右政党の躍進がめざましい。

例えば、自由や平等、人権など近代の普遍的な理念の敷衍、つまり「リベラル」はちっとも我々を幸せにしてくれなかったのではないか。いっそ「俺ファースト」で何が悪いのかと、開き直り、「愛国心」に自らの支えを見い出す。この流れに明るい未来を展望することは出来ない。

 だからこそ、まずはその看板たる「愛国心」を問い直さなければならない。問い直し方はふたつある。一つは、「愛国心」は聖なる感情であり、自国ファースト主義や排外主義は、それを汚すものである。それは本当の愛国心ではないとして、「愛国心」そのものは高みに置いたままその発露の仕方を批判する方法。

もう一つは「愛国心」そのものの価値を疑う方法だ。

 愛国者を自認する鈴木邦夫さんの本はもちろん前者である。しかし僕は後者を展開する。

 「愛国心」は崇高ではない、あたりまえの感情

結論から言えば「愛国心」は、崇高な感情ではない。では何か。「あたりまえの感情」、もっと言えば俗な感情である。

 人間は「とりかえしのつかないこと」を否定されることに抵抗をおぼえる。「とりかえしのつかないこと」とは、自らが過ごした過去の時間である。例えば死ぬ間際、「あなたの人生はまったく無意味でしたね」と言われたらどうだろう。

 そして「とりかえしのつかないこと」の究極は、「生まれ」であり「生まれつき」である。

人間は、生まれをいじられることが最も揺れる

親、家族、生まれた町、そして国。自身の肌の色や姿かたち、さまざまな障がいを含む美醜。論理的に考えれば、自分では選んだ憶えもなく、まったくの偶然であるにもかかわらず、そこを侮辱されることに人間は揺れる。

例えば最も忌避される侮辱スラングは「マザーファッカー」である。あるいは、海外で「お前の生まれたニッポンっていう国はクソだな」と言われたらどうだろう。仮に自分自身は母国への愛などにはまるで無頓着だったとしても、ネガティブな感情に火が点ることに気づくだろう。

 自分の「生まれ」「生まれつき」。その「偶然」とどう向き合うか。そこにどんな意味や価値を見い出せるか。それが人生の課題と言ってもいいのである。

そしてその「偶然」をあたかも「必然」であったかのように死んでいきたいのである。

つまり「生まれ」や「生まれつき」に代表される「とりかえしのつかないこと」を「全肯定されたい」もっといえば「誇りたい」」という猛烈な感情がへばりついている。それが「愛国心」の正体である。

「愛国心」は、性欲と同じ

「あなたはそのままで素晴らしい」と言われたいのであり、「ニッポン、サイコー!」と大声で叫びたいのである。たまたまなのにである。

それは人間の逃れがたく根源的な感情のように思える。「子を思う親の愛」も同列である。「そのために死ねる」感情は決して崇高ではなく、ぜんぜん「あたりまえ」なのである。その意味で「愛国心」は、根源的で普遍的な感情には違いない。しかし、同時に限りなく「性欲」に近い、強烈で俗な感情ということもできる。

だから、他人の「生まれ」を侮辱することはもとより、自分の「生まれ」や「生まれつき」をことさらに誇ることは、巨チンを誇る間抜けなマッチョ程度にゲスな行いなのである。ゆえに、誰もがそうなのだから、その強烈感情に配慮して、「愛国心」の発露は抑制的であるべきだよね。というのが世界の良心的お約束という側面もある。

うちの愚総理がすいません

鈴木邦夫さんが別の本でこんなことを書かれていた。「自分の家族を愚息、愚妻と言うのは日本人の知恵である」と。なるほどそれに倣って海外との付き合い方も「うちの愚総理がすいません」的なコミュニケーションがちょうど良いのではないか。

つまり、愛は地球を救わない。愛の抑制が地球を救うのである